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2006.08.27

閑話休題

金容雲(キム・ヨンウン)漢陽 (ハニャン)大学名誉教授
「日本語は全て古代韓国語から始まった」★3


「お前がいくら嫌いダケド(싫다케도)、私はお前が好きだ。」

ここで「~ダケド」は「~だとしても」を短く発音した慶尚道(キョンサンド)の方言だ。
「ダケド」は日本語でも同じ発音と意味で使われる。

金容雲(キム・ヨンウン)漢陽 (ハニャン)大学名誉教授は、現代日本語が慶尚道全羅道
(チョンラド)の方言と似ており、日本語は韓国語に由来したと主張する。金教授は最近
出版した著書『日本語は韓国語だ』(カナブックス)で「ダケド」のように現代日本語に残
っている慶尚道と全羅道方言を紹介する。日本語の「~だっけ」と「申し」は、全羅道方
言の「~당께(ダンケ)」と「마시(マシ、言葉)」にそれぞれ由来したというのだ。

金教授は7世紀以前まで、古代韓国語の発音が日本語のようにパッチム(終声になる子音
字)がなくて母音が単純で形態がそっくりだったと説明する。また嶺南と湖南地域では、
日本の東海(日本海のこと)隣接地域と往き来してお互いに意思疎通をしたはずだという
分析だ。金教授は「言語は文化」と言い「日本語は韓国文化を収容した歴史と一緒に発展
した」と強調した。慶尚道でよく使う方言である「이바구(イパク、話)」が日本語の「イワク
(曰く、おっしゃる)」と変形された例は、韓国人が書く言葉を高級語として崇めた彼らの
歴史が盛られているという説明だ。

日本の東京生まれである金教授は、両国の言語の類似性と差異を自分が体得した経験と該
博な知識を土台に文化的意味を付与しながら解く。さらに具体的な証拠を探すために韓国
「三国史記地理誌」と日本「古事記」「万葉集」など古代文書の古語を参照した。金教授
は「百済人が日本に渡ってお寺を建ててあげて壁に刻んだ吏読(リトウ、漢字の音と訓を
用いた朝鮮語の特殊な表記法)が日本の‘カナ’文字の原型になった」「日本語は言葉と
かな文字が全て古代韓国語から始まった」と主張した。

韓国語の「~テムネ(だから)」が日本語では「~為に」と変形されたり「転がる」と乗
ることを意味する「マ」(‘お御輿’の‘マ’)が日本に渡って‘タイヤが付いたひくも
の’を意味する「구루마(クルマ)」になったと言う解釈には首が自然にうなずいてしまう。

金教授は「今見れば全然似ていない韓国語と日本語の単語も時代をさかのぼると同根の言
葉が相当数ある」と言い「古代韓国人が日本社会と文化の基礎を準備した結果」と主張した。

ソース:東亜日報(韓国語)<いくら違ったと言うにも…日本語先祖は韓国語>
http://www.donga.com/fbin/output?n=200608250041&top20=1



コイツら、日本統治時代にハングルと日本語の両方を教えられたこと
意図的に忘れてないか?
とりあえず近隣国で、過去にも交流がゼロだったわけじゃないことも
全然頭に入ってないみたいだな。

現代韓国語と現代日本語に似た語があるのは
当然の帰結なわけだが。

都合のいい単語だけ抜き出して、これとこれが同じだから
韓国起源!って、どうしてこんなのが教授なんだと
半万年問い詰めたいwwwwwwwwwww
系統だった言語研究の成果じゃないことだけは
この頭の悪い翻訳文見ただけでも理解できる。
「だけど」と「だとしても」は、日本語じゃ違うってことを
誰か教えてあげたらいいと思うよヾ(*´∀`*)ノキャッキャ
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Posted at 21:45 | アジア | COM(0) | TB(0) |
2006.08.27

他人を助ける嘘

人の記憶って曖昧だから
過去を美化したり嘘を真実だと思い込んだりすることって
よくあることだと思う今日この頃。

「軍命令は創作」初証言 渡嘉敷島集団自決 元琉球政府の照屋昇雄さん

 第二次大戦末期(昭和20年)の沖縄戦の際、渡嘉敷島で起きた住民の集団自決について、戦後の琉球政府で軍人・軍属や遺族の援護業務に携わった照屋昇雄さん(82)=那覇市=が、産経新聞の取材に応じ「遺族たちに戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用するため、軍による命令ということにし、自分たちで書類を作った。当時、軍命令とする住民は1人もいなかった」と証言した。渡嘉敷島の集団自決は、現在も多くの歴史教科書で「強制」とされているが、信憑(しんぴょう)性が薄いとする説が有力。琉球政府の当局者が実名で証言するのは初めてで、軍命令説が覆る決定的な材料になりそうだ。
 照屋さんは、昭和20年代後半から琉球政府社会局援護課で旧軍人軍属資格審査委員会委員を務めた。当時、援護法に基づく年金や弔慰金の支給対象者を調べるため、渡嘉敷島で聞き取りを実施。この際、琉球政府関係者や渡嘉敷村村長、日本政府南方連絡事務所の担当者らで、集団自決の犠牲者らに援護法を適用する方法を検討したという。
 同法は、軍人や軍属ではない一般住民は適用外となっていたため、軍命令で行動していたことにして「準軍属」扱いとする案が浮上。村長らが、終戦時に海上挺進(ていしん)隊第3戦隊長として島にいた赤松嘉次元大尉(故人)に連絡し、「命令を出したことにしてほしい」と依頼、同意を得たという。
 照屋さんらは、赤松元大尉が住民たちに自決を命じたとする書類を作成し、日本政府の厚生省(当時)に提出。これにより集団自決の犠牲者は準軍属とみなされ、遺族や負傷者が弔慰金や年金を受け取れるようになったという。
 照屋さんは「うそをつき通してきたが、もう真実を話さなければならないと思った。赤松隊長の悪口を書かれるたびに、心が張り裂かれる思いだった」と話している。



こういう証言を今更・・・・という気もする。
でもこの年齢になったからこそ言えたのかもしれない。

今回の証言は、終戦間近の沖縄の話。
沖縄は米軍との地上戦が行われた地域だ。
戦後長い間返還が認められず、ようやく日本に返還されたのは
昭和47年、1972年になってからだった。

近代史は本当に駆け足で教科書程度しかやってないんで
ほとんど詳しくなかったから沖縄戦にしたって
地上戦が行われて、集団自決があって、ひめゆりの塔がある
程度の知識しかありません。
でも最近ニュースか何かでちらっと
「集団自決は軍の命令」
って部分だけ聞いた覚えがあって
「へー、軍の命令なんてあったんだ」
「まあ、あの当時は生きて虜囚の辱めを受けずなんてのがあったし
軍の命令とかなくてもそういう流れはあったかも」
なんて思ってた。
戦中は「鬼畜米英」とか言われてたし
捕虜になったら大変な目に遭うと思われてただろうし
地上戦なんて起きてて砲弾飛び交う真っ只中にいたら
捕虜になるくらいだったら死んだ方がマシ
と、当時の人が思ってもしょうがないなという認識。

でも軍の強制があったとはちょっと思ってなかったのよね。
戦後の沖縄の新聞で「鉄の暴風」での軍による命令話や
大江健三郎著の「沖縄ノート」内での軍の命令への言及なんて
ぶっちゃけさっぱり知らなかったですよ。
そして同時に、曽野綾子さんが「ある神話の風景」という著作の中で
軍の命令による集団自決について検証され
事実はなかった、遺族年金をもらうための方便だったことを
明らかにしていたことも。

戦後61年経った今、もう戦中の事実を語る人たちはそう多くない。
いい話も悪い話も事実を検証する時期になっているんじゃないだろうか。

なんでもかんでも「軍靴の足音」「戦争賛美」で切り捨てる時代は
もう終わってもいいと思う。
事実を語る人がまだ残っているうちに・・・・。
Posted at 18:33 | 日記 | COM(0) | TB(1) |
2006.08.27

イメージってすごいね

「94歳私の証・あるがまま行く」
第二の国歌をつくろう


日野原重明

 夏休みも残りわずかとなり、始業式が近づいてきました。寒冷地ではすでに授業が始まった学校もあるのでしょうか。

 こうした学校行事の時期がくるたび、「君が代」「日の丸」の問題が話題になります。

 20世紀以降、諸外国の多くが国旗を制定し、国際行事の際に国歌を歌うことが定着しました。特に五輪やサッカーワールドカップなど国際的なスポーツ大会が普及に一役買いました。

 とりわけ国歌は、チームのイメージを世に知らしめ、選手の愛国心や闘争心を高揚させる役割を果たしてきました。

 そういう意味では、日本の国歌とされる「君が代」は特殊な存在です。

 歌詞は、「古今和歌集」に「読み人知らず」として載っている和歌「わが君は千世に八千世にさざれ石の巌(いわお)となりて苔(こけ)のむすまで」が基になっています。「わが君は」を「君が代は」と変えたもので、明治期以降は天皇をたたえる歌とされてきました。

 これが戦後もそのまま採用されました。歌詞も曲調も古めかしく、天皇中心的です。米国やフランスの国歌と比べると、諸行事に使うには、日本の国歌はさえない印象をもつ人が特に若者たちに多いようです。戦後生まれの世代は、チームや個人をたたえる場面で天皇をたたえる国歌を歌われても、なかなかピンと来ないのでしょう。

 米国では、始業や終業時間に生徒が国旗に向かって右手を左胸に当て、国歌を斉唱する学校もあるそうです。これほど国歌を愛する国民性ですが、実はこのほかに、第二の国歌のような「America the Beautiful」という歌もあります。第2次世界大戦前によく歌われていたようです。

 そこで私は提唱したいのです。国内外の大きなスポーツ試合の時に、優勝チームや個人を表彰するのにふさわしい第二の国歌を、ぜひ日本全国から公募してほしいのです。

 公式行事には古典的な「君が代」でもいいでしょうが、若者が参加する華やかな国民行事には、「君が代」に代わる斬新な第二の国歌を全国民で歌いたいと思います。心を高揚させ、正義と友情と平和をたたえるようなもう一つの国歌を。

 私も当選は期待せずに、作詞作曲に挑戦したい気持ちでいっぱいです。たくさんの日本人が、その日を待っているに違いないと私は思うのです。



子供のころはアメリカの国歌とかかっこいい~!
と思ってたアテクシ(´∀`*)
引用した文章にもあるフランス国歌も素敵よね(´∀`*)

そりゃ日本の国歌は「軍歌」に比べたら
勇壮さもないし冴えない感じに聞こえるだろうね。

歌詞の中身検討したら
君が代はかなり平和的な国歌だと思うけどね。
本質が見えてないのは、子供も君が代ギライも一緒ってことだと
この文章を読んで感じたアテクシなのでした。
Posted at 06:46 | 日記 | COM(0) | TB(0) |
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