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2006.08.30

双方向だったはずなのに

スレ張り付きで様子を見ていたオーマイニュースが
とうとうやっちゃったわ!
とwktkしている今日この頃。


異なる意見戦う場に~創刊にあたって
編集長 鳥越俊太郎

記者名鳥越俊太郎

 
いよいよやって来ましたねぇ、創刊の日が。

 私がオ・ヨンホ代表と最初に会ったのが今年の4月7日。で、その後二度お会いして編集長の役を引き受けると決めたのが4月21日ですから、うーむ、まだ4ヶ月と1週間しか経っていないわけですが、来ちゃいましたねぇ、この日が。

(中略)

 オーマイニュースの第一の合い言葉は「市民みんなが記者」です。とはいえ、これまで記事を書いた経験もなく果たして記者活動が出来るのだろうか? 先ずは皆がそう思いますよねぇ。何を書いたらいいのかしら?

 確かに新聞記者は少しづつ経験を積んでプロの記者になって行きます。私も記者一年目は何をどう書いていいものやら頭を悩ましていました。書いた原稿をデスクに赤字を入れられる位ならまだいい方で、何度も破り捨てられてクズ籠行きもありました。でも、どうでしょうか、書くという行為は普通の市民なら何らかの形でやっている行為ですよね。

 確かに同じ専門家といっても医者が手術をするように市民が手術をするというのはこりゃ、ちょっとありえませんがね。書くのなら別に事実関係がしっかりしていて文意が分かればいいんじゃないでしょうか?

(中略)

 オーマイニュースの第二の合い言葉は「責任ある参加」です。

 日本の文化は一言で言うと「均質な文化」です。国民全員が同じ言語、伝統、習慣、風習を持ち、しかも同じような新聞やテレビを見ている。日本村のような状態ですね。だからここでは実名、顔出しで本音を言う文化よりも匿名文化が発達しました。「本音」と「建前」を使い分ける文化ですね。

 これは日本のテレビとアメリカのテレビを比べてみればよく分かりますが、日本ではNHKや民放の報道番組でも事件の証言者が殆ど首なしだったり、モザイクがかかっていたりします。本当は誰が話しているのか分からないのです。これはアメリカのテレビではありえません。日本の番組を参考までにアメリカのABCテレビの友人に送ったことがあるんですが、それは日本の女子高生の援助交際の話だったので全編これモザイクだらけでした。その結果全く使えないということで参考にもなりませんでしたね。

 匿名や首なし映像もどこかで事実の確認と言う担保がなされてればまだいいのですが、それさえない場合はそれは公的なメディアの場で使うには問題ある訳ですね。

 インターネットの世界は匿名文化が花盛りです。私はそれはそれで、そういうものだというみんなの認識でやっているのならいいんですけど、ニュースや情報という事実関係を大事にする場面では匿名は問題を孕んでいます。私たちオーマイニュースはやはり少々ガマンをしても匿名文化を実名文化にかえるべく努力をする時代になったという認識でやって行きたいと思っています。

 言論には言論で、議論には議論で。

 小泉首相の靖国参拝に異見を述べただけで加藤紘一議員の自宅が放火されたとみられています。そんな時代に私たちは今、生きています。少なくともオーマイニュースの場では異なる意見がキチンと姿を見せながら戦うところを見たいものです。

 異論、反論ドンドン書いて下さい!
 そんな活気のあるメディアにしようではありませんか!!



重くて表示も見づらいコメント欄は用意されていたので
一応双方向コミュニケーションを取るつもりはあるんだな
という程度の認識はあった。
なにしろ編集長の鳥越さんも上のように書いてるし。

まあ、だったらIza!みたいにトラックバック機能とかつけてくれると
外部ブログとも連携が取れて面白いと思ったけどね。

コメントがオピニオン登録・記者登録した人しか書けないとか
かなり閉鎖的だ。
その閉鎖的な中でも炎上しちゃうオーマイニュースの記事って('A`)
と思っていたが、とうとうやってはいけないことを
オーマイニュース側はやってしまった・・・・。

編集部側が編集する前の記事のコメント欄削除は
まあ、妥当だと認めよう。
一部ジャーナリストのコラムのコメント欄がないというのも
ビミョーだけど認めてもいいかもしれない。
ホントはどの記事にもコメントなりできるようにするのが
「双方向コミュニケーション」を謳っているんだから
当然のような気もするんだけどね。
でも。

今まで存在し、コメントがいくつもついた記事の
コメント欄を消してしまうのは横暴すぎるんじゃないか?
上の記事、異論反論ドンドン書いてください!
と書かれてある通り、当初はコメント欄もあったし
いくつかコメントがついているのをアテクシも見た。
が、今はない。
一部の記事だけコメント欄自体をなくしてしまうなんて!

3日でギブアップですか、鳥越さん?

せっかく新聞社と販売店の押し紙問題など
既存のメディアでは報道しにくい問題を書いた良記事が
アップされたというのに。

**追記**
どうやら23:50頃、コメント欄が復帰したようです^^^^^^^^
「間違えて」見えないようにしてしまったんですかね^^
で、鯖強化案内が昨日あったばかりだというのに
システムが込み合っておりますってwwwwwwww

ニュースサイトとして致命的なところが
たくさんありすぎですね^^^^^^^^^^^^
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Posted at 21:02 | 日記 | COM(0) | TB(0) |
2006.08.30

オーマイニュース(w

反権力・反体制の思想信条は勝手だけど
教育現場で子供にそれを押し付けるのは許せないと思う今日この頃。

幸いアテクシ自身はそういう教師に出会ったこともないし
ダンナも出会ったことがないようだ。
小学校では国歌を教えてくれないようだが
幸いうちの子供たちの通っていた幼稚園で教えてくれたので助かった。
なんかさ、当たり前のことが当たり前にできないってのが
一番問題なんだと思うんだよね。
国旗や国歌に対してなにか思うところがあったとしても
何も知らない子供たちに、一方的な思想を教え込んで
歌っちゃいけない雰囲気に持っていきたがる教師の存在は鬱陶しいし
声高に主張して毎年騒がせる市民運動家たちにも
本当に心の底から嫌悪感を抱く。

いつまでも黙っていられるか!?
さまざまな枠を超えて大きな声で抗議する


 「国歌については、他の式歌と同様の声量で歌うことができるよう指導する」という、このあまりにも笑ってしまうような、町田市教育委員会の卒業式・入学式の指導通知が2004年12月に出された。

 翌年には子どもの中学校卒業が控えていた。すぐ教育委員会に赴き、「なぜこんな指導通知を出したのか」を聞いたのだが、そのとき教育委員会の対応は「君が代を大きな声で歌うのは難しいんですか……」と人ごとのように語るばかり。「こんな奴に何もできないだろう」と、1人の一般市民にきちんと答える気もなかったに違いない。今までは教組や労働組合なり、組織を持った団体が交渉するだけだったのだろう。その通り、通達当初はいろいろな団体が、別々に抗議に行き、結果は芳しいものではなかった。
 
 また、わたしがこの抗議活動をしていく中で、中学のPTAでも「歌いたいという人もいれば、歌いたくないという人もいる、どちらかを決めてしまうのは問題だろう? しかも声の大きさなど測れるものではなく、非文化的で、教育に馴染まない」と投げかけても、「ここで話す内容ではない」と、PTA役員たちは校長の顔色を見るばかり。自分の子どものことですら、教育現場では話せないような状況になっていた。PTAにはすでに教師の姿は排除されなく、校長の代弁者のようになったPTA役員達は、直接自分には関係ないかのように押し黙っている。このようなことの積み重ねが、現在の教育現場の実態につながっているのだろうと少しずつ分かってきた。
 
 しかし、「今この町田の状況を許せば、必ず全都・全国へ波及してしまうだろう。だから絶対にこの町田で食い止めないと……」という危機感が、一般市民も政党や宗教などさまざまな団体も、その枠を超えて一緒に抗議をするようになっていった。
 
 いろいろな一般市民がつながると、行政側はありきたりの団体交渉で進めることもできず、相手にする実態が分からず、これほど怖いことはないのだ。こうして、町田では、教科書採択問題、JC靖国・遊就館ツアー問題などに多様な市民、保護者が繋がって立ち向かっている。

 もう黙ってはいられない。



町田に住んでいなくて本当によかったw

で、この記事、何が言いたいのかよくわからないんだよね。

 「国歌については、他の式歌と同様の声量で歌うことができるよう指導する」という、このあまりにも笑ってしまうような、町田市教育委員会の卒業式・入学式の指導通知が2004年12月に出された。


確かに笑ってしまうような通達だw
わざわざこんな指導通知を出さないと
君が代を歌う下地すら作れない状況が問題だと
アテクシなんかは思う。
いちいち指導されなくても、それなりに歌えるように指導するのが
教師の役目だろうし、当たり前の姿だと思うから。

すぐ教育委員会に赴き、「なぜこんな指導通知を出したのか」を聞いたのだが、そのとき教育委員会の対応は「君が代を大きな声で歌うのは難しいんですか……」と人ごとのように語るばかり。


ホント、教育委員会の中の人も大変だね。
正直、アテクシだって思うよ。
「君が代を大声で歌うのは難しいんですか」と。

わたしがこの抗議活動をしていく中で、中学のPTAでも「歌いたいという人もいれば、歌いたくないという人もいる、どちらかを決めてしまうのは問題だろう? しかも声の大きさなど測れるものではなく、非文化的で、教育に馴染まない」と投げかけても、「ここで話す内容ではない」と、PTA役員たちは校長の顔色を見るばかり。自分の子どものことですら、教育現場では話せないような状況になっていた。PTAにはすでに教師の姿は排除されなく、校長の代弁者のようになったPTA役員達は、直接自分には関係ないかのように押し黙っている。このようなことの積み重ねが、現在の教育現場の実態につながっているのだろうと少しずつ分かってきた。


ここが一番わからない。
何が言いたいんだろう?
市からの指導が問題なのか
それとも君が代を歌わない自由を侵害しているといいたいのか
さっぱりわからないのだ。
とりあえず、この通達に反対なのはわかるのだが
その理由がさっぱり見えてこない。
まあ、結局は君が代を歌うこと自体に反対なんだろうと
推測はできるけどね。

問題点がぼやけてるんだよね。
抗議活動などの言葉からは
記者が君が代を歌うことを快く思っていないことくらいしか
伝わってこない。
何が問題なのか、どこが問題なのか
はっきりとした問題提起がなされていない。
最後の締めの部分で【これからも抗議活動を続けていく】
という自分のスタンスを表明しただけ。

こんなんが記事になって対価をもらうってんだから。

アテクシ自身は国旗にも国歌にも敬意を払うべきだと思うが
上から強制・指導されるものじゃないと思っている。
が、自分の思想信条から国旗国歌に反対する教師や保護者が
こうやって強硬な抗議活動をしていく限り
上からの押し付けが強まるんだとも思ってる。
自分たちの活動が子供たちの自由を奪ってるということが
なぜわからないんだろう?
Posted at 00:44 | 日記 | COM(0) | TB(0) |
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