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2006.08.26

生と性の混同だよな

浮世離れとか、アンバランスな精神成長を遂げた人しか
作家になれないのかな~、と思う今日この頃。

坂東眞砂子さんのエッセーに批判相次ぐ

 本県出身で仏領タヒチ島在住の直木賞作家・坂東眞砂子さん(48)が、自分の飼い猫には避妊手術をせず、生まれた子猫を「殺している」と日本経済新聞に書いたエッセーに対し、「不快だ」などの抗議が相次いでいる。

 エッセーは18日付夕刊に「子猫殺し」と題して掲載。雌猫3匹を飼っており、子猫が生まれるたびに家の隣のがけに放り投げていると告白。「人は他の生き物に対して、避妊手術を行う権利などない」「自分の育ててきた猫の『生』の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを選択した」などと記した。

 日本経済新聞社には、23日までに約300通の電子メールと約60件の電話があり、多くは「理解に苦しむ」などの批判や抗議だったという。

 坂東さんは高知新聞社の取材に対して、「私は、子猫を殺しているだけではない。鶏も殺して食べてもいる。ムカデも、蟻(あり)も、蚊も殺している。生きる、という行為の中に、殺しは含まれています。それは、高知の自然の中に生きている人たちにとっては自明の理ではあるでしょうが、都会生活の中では、殺し、という面は巧妙に隠されています。今回のエッセーは、生と死、人にとって、さらには獣にとって生とは何か、という一連の思考の中から出てきたものです」とコメント。

 日本経済新聞社社長室は「原稿の内容は筆者の自主性を尊重している。さまざまな意見は真摯(しんし)に受け止めたい」と説明している。



この人は子猫殺しの前の週のエッセイで
子犬を始末したことも書いていたようだ。

「天の邪鬼タマ」  坂東眞砂子

 うちの飼い犬は三頭いる。二頭はジャーマンシェパード、雌のミツと雄のクマ。 もう一頭はミツの娘のタマだ。タマは、近所の雑種犬との混血だ。ミツとクマには犬小屋があるが、タマはいつもそのあたりを宿にして放し飼いである。
 母娘だからというでもないだろうが、どういうわけか、ミツとタマ、同時に発情期となってしまう。当然、出産も数日違い。前回、ミツはタマの仔を自分の仔だと思って奪い、タマはそれを取り返そうとし、私はどちらの仔か分からなくなり、あたふたしているうちに、両方の仔、みんな死んでしまった。今回もまた同時に出産したので、涙を呑んで、タマの子は生まれてすぐに始末した。その数日後である。朝の散歩の後、ミツとクマは自分のねぐらに入るのだが、出産後のミツは自分の仔を置いている逆さにしたボートの下にもぐりこんだ。するとタマが、ミツの犬小屋に入りこんで、ちょこんとおさまった。
 こんなことは初めてだ。それから毎日のように、この調子だ。しばらくすると出てくるのだが、タマがいないなと思うと、ミツの犬小屋を占領している。
 タマはミツになりたいのだ。ミツならば、子供がいなくなることもない。立派な犬小屋だってある。犬なりにそれを悟ったのだろう。タマは単純に、ミツの小屋にいれば、ミツになれると考えたのだろう。



この上のエッセイも、子猫殺しのエッセイも
思春期のネガティブ思考を思い出したアテクシ。

「私は、子猫を殺しているだけではない。鶏も殺して食べてもいる。ムカデも、蟻(あり)も、蚊も殺している。生きる、という行為の中に、殺しは含まれています。それは、高知の自然の中に生きている人たちにとっては自明の理ではあるでしょうが、都会生活の中では、殺し、という面は巧妙に隠されています。今回のエッセーは、生と死、人にとって、さらには獣にとって生とは何か、という一連の思考の中から出てきたものです」



どう見ても詭弁です。
本当にありがとう(ry

鶏を殺すのは食べるため、虫を殺すのは直接・間接的に
害を避けるため、「必要だから」殺している。
子猫を殺すのは生を全うするために必要なできごとだろうか?
殺しの痛み、責任、いろいろ言葉を飾って例も挙げているが
論理のすり替えでしかないだろう。

子猫は家庭内で飼われて世話されている分には
他人に迷惑もかけないし害獣にもなりえない。
捨てられたり野に放たれたりするから
他人の迷惑になるのだ。
避妊手術が自然な状態ではない、獣としての生の充実
などとご大層な理屈を並べて繁殖した子猫を殺していると嘯くが
「飼っている」状態がすでに自然とは大きく隔たりがあることを
まず自覚するべきじゃないだろうか?
自然ではない状態なのにも拘らず「獣の自然」を主張すること自体が
大きな矛盾であると思う。
また、「獣」にとっての性行動は単に
「種を増やす・自分の遺伝子を残す」ための手段でしかない。
だがこの人は「『生』の充実」となぜか変換されるようだ。
「生の充実」であるならば、性行動の後の育児も含めなければ
獣にとっては「生の充実」ではありえないのではないだろうか?
人間以外の動物の性行動は決して快楽を伴うものではない。

ところでこの人の著作の傾向などをネットで調べてみると
「性行為」の賛美的な傾向があるのが読み取れる。

人間のセックスは、子孫を残すという行為のみならず
相手とのコミュニケーションの手段でもあり
快楽を得るための手段でもあり
また自らの欲望を満たす行為でもある。
純粋に子孫を残すためだけにセックスするのではない
らしいw
野生の動物とはちょっと位置付けが違う。
よく獣のように乱れ・・・なんて表現があるけどさ
獣のセックスなんて淡白だぜ?w
発情期が来たら優秀な子孫を残すために
メスはオスを選び、子が宿ったら関係はおしまいなのだ。
人間の方こそ節操なくセックスしてると思うよ^^^^^^^^

人間様のセックスのあり方、捉え方は人それぞれだし
坂東さんがセックスに対して子孫を残すことよりも
快楽を求め開放的であることを求める考え方を持ったとしても
それは彼女の自由だと思うよ、うん。
考え、理由をつけるのが人間様はお好きですから(´∀`*)
でもその考えは人間様に当てはまるだけで
獣のセックスにあてはまるわけじゃない。
人間様はセックスこそ「本能」と思ってしまうが
動物の本能の中でセックスは子孫を残すための過程でしかなく
「生の充実」という観点から考えるのであれば
仔を生し育てるという結果も重視しなければ
本当の充実とは程遠いと思うのだがどうだろう?

また、生きるために殺すという行為について言及したいのであれば
実際に鶏や羊を捌いて食べる過程でも書けばまだ共感できたし
生を考えるきっかけになったと思う。
だがそれは子猫を殺すことからは感じることはできない。
社会的責任を自分の手を下して殺すことで果たし
痛みを請け負うなどと書いてはいるが
実際に彼女は子猫の痛みなど請け負ってはいない。
崖から落としているだけだ。
手を汚す、という次元では全くないのだ。
死を見つめるわけでもなく、痛みを知るわけでもなく
ただ単に、痛み・責任ごと崖から放り投げているだけに過ぎない。
「生について考える」と言葉を飾ってはいるが
飼い猫・その仔の生を自分の中だけで通用する
思春期の子供レベルの理論で弄んでいるだけにしか見えない。

自分のセックス観をネコにまで当てはめる
幼稚な思考の持ち主ってことだ。
アテクシはそう思った。

**ついでに**
彼女を擁護したいがために
「産ませた子猫を保健所送りにするのはよくて
直接(でもないんだけど)殺すことを批判するのはおかしい」
という人がいるけどさ。

保健所送りにするヤツもアテクシは許せないよ。
責任をもてない命は作らない、これが基本。
育てられないから保健所に連れてくってバカも
保健所には連れてかないけど殺すってバカも同じバカだと思う。
「生」を弄んでるだけに過ぎない。
そんな飼い方をするバカには、ネコ(ペット)を飼う資格なんて
絶対にないと思ってるよ。
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